ホームは何処に
昨日のことだが、4日間の学会を終えて、さあ家に帰ろうと仙台駅に向かったところで、足が自然と新幹線のホームの方に進んでいたのにふと気がついた。仙台駅からは空港に向かって、そこから伊丹空港に飛ぶにも関わらず、である。何をボケているのだろうかと心の中で苦笑したのだが、少しばかり考えてみると、どうやら無意識のうちに東京方面へと帰ろうとしていたらしい。これまでは仙台から帰る先と言えば、関東だと決まっていたからだ。ということは、一瞬だったとはいえ、この間1年半過ごした大阪を、帰るべき場所だと思っていなかったようだ。
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という体験をして気がついたのだが、このちょっとした出来事に、近年の私の抱える様々な問題が凝縮されているのではないか。つまり、帰るべき/帰れる「ホーム」がない、ということである。
暮らしについては、生まれ育ち長く過ごした地を離れて、現在は大阪に住んでいる。ではそれまで暮らしていた千葉や東京、つくばがホームと言えるかというとそうでもなく、改めて足を運んでみても、昔とはすっかり変わってしまった雰囲気に、懐かしさとか帰りたいとかいう気持ちはあまり感じない。実家もすでに私がいたところから引っ越しているし。
仕事=研究についても、様々なテーマに手を出している分、ここが私のホームグラウンドだと言える分野がない。学会で関係ある研究発表の会場に行っても、どこかアウェイの立場で聞いているようにも思える。もちろん各分野に知人はいるし、一緒に研究もしているわけだが、結局“外様”なのかもと思うことも多く、ホーム意識が強い分野からは排除されている気さえする。未だに定職が決まっていないのも、出身大学・研究室といった“家族関係”がないのが、一因のような気もするし。
趣味に関しても同様。長年楽しんできた音楽も、昔のように「このジャンルが好きだ」「このアーティストは最高」と言えるものがなくなってしまった。数多く聴く分、一枚一枚に対する気持ちも薄くなっている。サッカーについては、アントラーズは今やホームチームではなく、また試合を素直に楽しめなくなってしまった。その分、今のホームタウンのセレッソに気持ちは向いているけれども、まだ心の底から応援出来ているというわけではない。
人間関係についても、大阪に移ったおかげで以前の友人とはおのずと距離が出来てしまい、大阪でも知人は増えているもののまだそんなに親しいとは言えず、明確な「帰属意識」を持てるような関係があるというわけではない。関東から来た一人者、しかもいつ出て行くか分からない身とあっては、地域のコミュニティにもなかなか入っていけるわけでもないし。
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などと考えると、「ホーム」がないことで不安定な状況になっているとも思えるのである。こういう状況にあって、どこかに腰を落ち着けて住人としてホームを見いだしていくべきなのか、それともホームを持たないまま旅人のように暮らしていくべきなのか。さて、どうしたものかというところである。
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