2009年8月 4日 (火)

マニフェストというが…

 ここ数日は、研究事のブログ向けに、各政党の衆院選マニフェストを読んでいるのだが、書かれている内容はともかくとして、その“つくり”が結構ひどいのには驚いてしまった。

 まずは政権与党の自民党だが、デザインは凝っているのだが、その分内容が薄くみえる。特に「要約版」の方は、いかにも広告代理店が入りました…というような、見栄え「だけ」に重点を置いたつくり。もう少し詳しいことを書いた「政策バンク」も、見やすさを重視した分、情報が少なすぎる。民主党に比べて公表が遅れたわけだが、これをみると、内容を詰めるためというよりは、デザインに時間がかかったとすら思えてしまう。デザインが良いものをつくること自体は否定しないが、見栄えさえ良ければ国民に受けるとでも考えているのでは?と勘ぐってしまう。
 同じく与党の公明党のマニフェストは、つくりがかなりひどい。ひどすぎると言ってもよいほどである。こちらは自民党と対照的に、デザインに全く凝っていない。集められたテキストファイルを、ワード上で切り貼りしましたというような感じ。書式やフォントさえほとんど手を入れていないかのようである。かつ、見出しのレベルと内容のレベルとが全く整理されておらず、混在しているという始末。人に読まれることを考えていない、読みやすさを全く考慮してないようにもみえるのである。
 これらに比べると、民主党のはまだよい。「マニフェスト」の方は、自民党ほどデザインには凝っていないが、それなりに読みやすいつくりで、情報量も適度という感じである。詳しい政策を並べた「政策集」も、公明党のに比べれば、数段読みやすくつくられているが、逆に文字数が多くて細かいので、読むのは正直疲れそうである。まあ、基本は「マニフェスト」の方を読めばよいということなのだろうが。
 その他の政党は、あまり語る気にもならない。共産党の「総選挙政策」は、表紙こそカラーの写真だが、あとはベタなテキストのみ、かつ現政権の批判が政策提案よりも長いという。社民党の「マニフェスト」は項目だけが並ぶWEBページのみ、国民新党の「政権政策」はパンフレットだがデザイン的にはいまいちで、内容も見出しレベルという感じ。

 こういうのをみると、党の政策に関して、必要十分な情報を、国民に分かりやすく伝えようとしているのだろうか?と疑問にすら感じる。こんな程度のものしかつくれない人々に、国政をまかすというのはどうなのかなあ…とも。政府だけでなく、政党というものも、それこそ「民営化」した方がよいのではないか?とか思ってしまうが。

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2009年7月 9日 (木)

ビール業界の喜ばしい変化

 近年のビール業界は、発泡酒やらその他の雑酒やら(あれを“ビール”とは呼びたくはない)の開発をがんがん進める一方で、少々高いプレミアムビールも出すというやり方で、以前に「ビールも格差社会?」と書いたりもしたのだが、最近になって若干の変化がみられる。プレミアムではない普通価格のビールに、麦芽100%という、本来ビールのあるべき姿が増えてきたのである。
 これまで国産の普通価格の麦芽100% といえば、サントリーの「モルツ」くらいしかなかったのだが、今年の春にキリンの「一番搾り」が麦芽100%に切り替えられ、初夏にはアサヒが「ザ・マスター」を発売した。こうして麦芽100%の選択肢が増えたことは、ビール党としては大変ありがたい。
 おかげでうちの冷蔵庫には、常に上記3種類の350ml缶がまとめて常駐するようになってしまった。最初の口当たりが良くて後味に一定のコクもある「一番搾り」、コク的には若干物足りないものの爽やかな苦みがよい「ザ・マスター」、独特の甘い後味が特徴的な「モルツ」と、その時の気分や飲む順番でそれぞれ選べるのが楽しい。本当はこれらに加えて、キリンの「ハートランド」が常備出来れば言うことないのだが(一般に500ml瓶しかないが価格は普通)、うちの近くでは未だに売っている店がみつからないのが残念である。
 とりあえずはこの3種類でそれなりに満足しているので、逆に今はプレミアムビールを飲む気がなくなってしまった。時折サッポロの「エビス」を買ってみるが、最近はどうもあの味が好きではなくなってしまったほどである(いつも買う店の保存状況が悪いのかもしれないが、コクが薄まった気も)。
 このような変化は本当に嬉しいのであるが、これまでドイツ的(ビール純粋令)に言えば「ビールではない」ものばかりをつくってきたことが、ある意味で“おかしい”のであって、ようやく本来の姿になったと言った方がよいのかもしれない。

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2008年11月 2日 (日)

若いつもりが歳を取った

 人は生きていれば年に一つ歳を取るものであって、こればかりはどんなに避けようとしても仕方がない。歳を取ってくれば、一歳分増えることの意味は徐々に薄れるもので、その結果として自分の年齢もあまり意識しなくなってくる。比較的自由な職業で好きなことをやっている分、また上下関係などもあまりない世界にいる分、気分としてはいまだに若いままなのである。
 しかし、自分ではそう思っていても、やはり周りから見ればもう"年寄り"なのだなということを、今日改めて知らされたのであった。学園祭にライブを観に行って、帰り際にキャンパス内の模擬店の間を歩いていると、なんと「おとうさん、買っていきませんか」と声をかけられたのである。そりゃまあ、彼らのおおよそ倍の年齢だから、彼らくらいの子供がいる可能性もないわけではないのだが、それにしても「おとうさん」とは…。
 彼らは品物を売ろうと声をかけたのであり、もちろんこちらの気を害しようなどとは思っていないはずである。逆に気分よく買ってもらおうと、多少のおべっかも込めて声をかけるだろう。なにしろここは大阪、それくらいの話術と商売の技量は、学生だって持っている(に違いない)。にも関わらず、あのようび呼びかけられたということは、どうひいき目に見ても、もう「おにいさん」には見えないということなのだろう。などと冷静に考えると、ますます哀しくなってくる。
 ライブを観ている間は、周りの若い学生達と同列くらいの気持ちでいたのだが…第三者からみれば、もうそうは観てもらえないのだろう。そろそろ若者が集まるような場所に行くのはもうやめて、年相応の暮らしをしたほうがよいのかもしれない。

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2008年10月17日 (金)

大阪を十分楽しめてない理由

 大阪に来て半年経つというのに、大阪市内も十分に見て回れていないし、関西一帯もほとんど見て回れていない。せっかく住んでいるのに、大阪を十分に楽しめていないのが実情である。なぜそういうふうになっているのか?といえば、やはり「東京行き」が多いからではないかと、東京出張の帰りの新幹線の中で考えた。
 東京に行けば、ほぼ丸1日、時には2日3日がつぶれてしまう。その分こちら(大阪)で仕事をする時間はけずられるのであって、でもやらねばならないことはあるから、おのずと週末も仕事をせざるを得なくなる。よって、週末に大阪や関西を回ることが出来ないのである。
 また、東京に行くと、どうしても疲れる。はっきりとした肉体的な疲れというよりは、なんだか分からないが溜まる疲れがある。平日はなんとか乗り越えても、週末にはどっと疲れが出てくるので、ついつい家でゴロゴロのんびりとしてしまいがちである。よって、週末に大阪や関西を…となってしまう。
 東京行きを減らそうとしたり、滞在日数を減らしたりして(今回の出張も、少し前だったなら、1日延ばして土曜に鹿島vs京都@カシマを観てきたことだろう)、出来るだけ大阪で過ごす時間を増やそうはしているのだが。もちろん、仕事を平日にてきぱきとこなして週末はきっちり時間を空けるとか、いくら疲れていても休日は外に出るとかすればよいのだけれど、なかなかそうはいかないわけで。

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2008年10月 6日 (月)

東京行きを数えてみると

 最近すっかり東京行きに疲れつつあるので、ふと思い立って大阪に来てから東京に行った回数を数えてみると、半年間で合計17回であった。つまり月に約3回、10日に1回のペースである。日帰りだけでなく泊まりの時もあるから、結構な日数を東京行きと東京で過ごしていることになる。これでは体も疲れるし、大阪で過ごす時間も少なくなるわけだ。
 ざっと計算してみれば、片道3時間として計100時間近くを新幹線の中で過ごし、往復3万円として約50万円を新幹線に費やしていることとなる。後者の金額は仕事関係の旅費から出ているのでまあよいとして(それでも無駄な気がしないでもない)、前者の時間は仕事をしたり本を読んだりものを考えたりしているので、全く無駄というわけではないのだが、なんだかもったいない気がしてしまう。
 なんとか東京行きを減らしたいところなのだが、なかなかそうもいかなそうで…。

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2008年10月 1日 (水)

家を離れて溜まる疲れ

 月曜から今日まで、3日間の出張。1日目は都内で会議、2日目はつくばで研究打合せとあちらで関わっていたNPOの年次総会、3日目は都内で本探しと研究打合せ。
 半年ぶりに行ったつくばは、特に大きく変わっていたわけではないが、大阪の街に慣れてしまうと、また新鮮に見えてくる。大阪のヒューマンスケールな空間に比べると、つくばは本当に“非人間的”にみえてしまう。緑は多いしオープンスペースも多いのだけれど、距離は遠いし歩いては動けないし、そのあたりが全く違うのである。今となっては、大阪の方が気持ちよい感じがする。
 それはさておき、自宅を数日離れているだけで、なぜか疲れがたまってくるように感じられてしまう。睡眠時間は普通に取っているし、食事もきちんと食べているのだが、自宅で休むのとは疲れの回復度が違う気がする。精神的なものだろうか。普段はそんなに感じることもないのだが、やはり「ホーム」の持つ意味は大きいのかもしれない。昔は長旅も全然気にならず、旅先で暮らすことには強い方だと思っていたのだが、この歳になるとやはり自宅での落ち着いた時間がほしいらしい。
 大阪に移って半年も経ったというのに、なんだかんだでいまだに月に3~4回の東京での用事があり、かつ数日間に及ぶことも増えてきた。回数を減らすためにいくつかの用事をまとめているのだが、にも関わらず回数が減ってくれない。これは少し意識して東京の仕事を減らさなければならないのかもしれない。
 しかし、来週には韓国に5日間の出張。10月中にも数回の東京行き、さらに11月頭には北海道・札幌への研究会&学会出張で4日ほど行き、その後すぐに(下手すれば札幌から直行で)1週間ほどのアメリカ調査が入る可能性があるという。今月・来月は、自宅で気持ちよく休めるのは何日あるのだろうか?という感じである。

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2008年9月13日 (土)

最後のドライブ

 引越を機に実家に預けた車に乗って、鹿島へと向かう。この車が今月で車検切れとなり、これを機会に廃車にすることになったので、最後に乗ってやろうと思ったのである。つくばに引っ越して、免許を取って購入したのが、もう8年前。結構な型落ちの中古で、かなり安い値段だったのだが、この間ほとんど問題もなく走れていた。今回往復をしてみても、動きは全くスムースで、運転していて実にしっくりときて、廃車にするのがもったいないくらいである。
 なにしろ生まれて初めて手にした愛車であり、こいつで運転の楽しさを覚えたと言っても過言ではないので、なんだか少し寂しい気もしてくる。毎日の通勤に使う以外に、今日のように鹿島にも通ったし(いったい何度同じ道を走ったのだろう?)、フェリーに乗せて北海道も走ったし、その他東北・関東・甲信越・北陸と、いろいろなところへドライブ旅行もした。どれもよい思い出である。
 大阪に引っ越して、車に乗らない生活の楽しさを感じていたわけだが、こうして久しぶりに乗ってみると、車に乗る生活の楽しさというのもあるわけで、愛車がなくなることでこの楽しみもなくなってしまうと思うと、少々残念である。

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2008年9月 3日 (水)

考え事に適した場所

 今日は東京への日帰り出張。さすがにもう新鮮味もなく、しばらく前までは感じていた楽しさもすっかり薄れてしまったのだが、改めて考えてみると、新幹線の車内というのは考え事をするのになかなか適した場所なのに気がついた。
 閉じられた空間で、メールも電話も来るわけではないが、パソコンで仕事するには若干不便(やらねばならない時はやるけれど)。日常から離れてはいるけれども、旅のように非日常というわけではない。椅子はそこそこ座りやすく、それなりにのんびりも出来て、流れていく車窓の風景はある意味癒しでもある。…といった状況は、頭に残っている課題について、少しリラックスしつつまた新しい観点から考え直すというのに、なかなかよいのである。
 そういう意味では、出張前に課題をいくつか頭に“仕込んで”おいて、新幹線の中でゆっくりじっくりと考えて方向性を見いだした上で、帰った後に実際に作業をするという流れが、よさそうな気がする。まあ、課題が多すぎたり、考える前にやらねばならない作業がたまっていたり、あるいは疲れ切っていて眠るしか出来ないような状況だと、そういう時間の使い方も出来ないわけであるが。

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2008年9月 1日 (月)

「違うんです」ではない部分に

 某首相が突然辞任したのにはあきれるばかりで、何も言うことはない。「あなたとは違うんです」との失言に世間が反応するのも、よくわかる。が、個人的に気になったのは「違うんです」の前、「私は自分を客観的に見れる」の部分だったりする。あの首相がそうであるかどうかは置いておいて、自分のことであっても客観的にみて、人ごとのように語れてしまう人は、実際いるのだと思う。
 典型的な(?)AB型で二重人格的な私にはそういうところがあって、普通に暮らしている自分のほかに、その自分を上から見ているもう一人の自分が常にいる感じで、何かを言ったり行動したりする時には、そのもう一人の自分のフィルターを通ってから、外に出て行く感じなのである。
 こういう性格は、研究者という仕事上は、客観性を持つという意味では、それなりに有効に機能するのだが、ことプライベートになると必ずしも良いとはいえない。自分自身のことであっても客観的に見て冷静に語ってしまうので、他人からは某首相が言われたように「人ごと」で気持ちが入っていないようにみえて、時には怒りを感じさせてしまうのである。別に気持ちが入っていないわけではなく、気持ちが外に出る時に加工されているだけなのだけれど。
 人ごとに見えてしまうところ、またああやって最後に放り出してしまいたくなるところも私自身あるので、そういう意味では某首相に共感する部分もないわけではないのだが、それにしてもひどすぎると思うのは言うまでもない。仕事が長く続けられず、引きこもって、突然切れたりするというような、今という時代の病理を象徴しているかのような出来事ではないか。

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2008年8月31日 (日)

夏が終わる

 今日で8月も最終日。ここしばらくは比較的涼しい日々が続いていたのだが、今日は、まるで去り行く夏を惜しむかのように、いかにも夏らしい青空と日差しと暑さが戻ってきて、しばらく前までは毎日続いていた夏の感触を思い出させる。抜けるような青空とさんさんと輝く太陽をみていたら、すっかり仕事しに職場に行く気は失せてしまって、自宅にて家事などをこなしながらのんびりと過ごしてしまった。
 しかし思い返してみると、今年はほとんど夏らしい過ごし方をしていない。海には行ってないし、プールで泳いですらいないし、花火も観ていない。ほとんど家と職場と出張先の東京とを行き来していただけのような気がしてくる。今年の夏の思い出といえば、蒸し暑く日差しも強い大阪の厳しい暑さと、そのために飲まずにはいられなかった大量のビールくらいものである。まあ、祇園祭をみたのと、夏フェスにいったことくらいは、夏らしい出来事といえるかもしれないが。
 こんなふうにして夏が終わってしまうというのは、なんだかとても寂しい。

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2008年8月30日 (土)

休みがほしい

 土曜日だというのに今日も職場に行って仕事をする。来月(と言ってももう明後日か)上旬締切の仕事がいくつかあるので、週末も使っていかないと(順調に)終わらなそうだからである。明日もおそらく午後から職場で仕事をすることになるのだろう。
 しかし、ここしばらくは休みらしい休みが取れていないような気がする。週末にカシマに行ったりして“遊んで”はいるのだが、心身が休まる時間が持てていないように思える。外に遊びに行ったからといって今ひとつ気が晴れないし、ただ家にいても休まるわけではない。本や音楽やテレビを面白いと思っても、美味しいものを食べても、その効力は長くは続かないし。さて、何をしたら休まるものだろうか。この際どこか遠いところに旅行したりした方がよいのかもしれない。
 今の職場は5日間(!)の夏休みがとれる規定になっているのだが、期限の9月末までにはどう考えてもまとめてはとれそうにない。5日連続で休みをとれば、前後の土日も足せば9日間、連休につなげればさらに長い休みが取れるというのに。10日も休みがあれば、それこそ海外にでも余裕をもっていけるのだけれど。とはいえ、そうない長い休みと思って旅行しようとすると、ついつい予定をいっぱいに/無理気味に組みがちであるから、逆に疲れてしまいそうであるが。
 まずは9月上旬までの仕事を終わらせて、中旬の学会大会を乗り切ったら、1日2日程度でよいから、静かな温泉宿でも行ってのんびりしてくるか…といったところが妥当なあたりか。

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2008年8月 6日 (水)

日々更新もひとまず終了

 6/6以降今日まで、2ヶ月に渡って1日も休まずブログを更新し続けてきた。まあ、実際には後日書いたものも多いのだが、それでも毎日分を書いてきたのだから、よしとしておこう。
 最初の1ヶ月はEURO2008という“お祭り”で書くネタもあったわけだが、その後の1ヶ月は日常生活の中からなんとか話題を見つけて書いてきた。ネタがないことをネタにした日もあったし、わざわざ書くほどでもないなあと思いつつ日を埋めるために書いた“捨てネタ”もないわけではない。時には、書かねばならない(と自分で決めた)ことが若干の重荷に感じることもあった。
 とはいえ、なんとか頑張れば毎日書くことは出来るのが確認できたのは、一つの収穫である。どれだけ興味深く読まれたかは別として、日々の中でネタを探して(多少遅れることもあるとはいえ)毎日文章にしていくことが出来たわけで。
 出来ることが確認できたので、この2ヶ月という区切りを持って、毎日更新するという方針は一旦やめにすることとしたい。ネタのない中で無理して書くよりも、書きたいと思うことをきっちり書いた方が、少なくとも自分にとっては意義があるので。
 などと言いつつ、ある意味習慣づいてもしまったので、明日以降も引き続き毎日のように書いてしまうかもしれないけれども。

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2008年8月 2日 (土)

家で過ごす一日

 今週はいろいろなことが続いて、体調を崩すなど不快な出来事もあって、とにかく疲れたので、今日は一日家で過ごしていた。というか、昨晩目覚ましをかけずに寝たら、目覚めたのは午後2時で、都合12時間寝続けたことになり、結局半日は寝て過ごしたわけであるけれども。
 起きてからは、近くの店で遅い昼食を買ってきて食べ、洗濯をして部屋の片付けをして、少し本でも読んでいたら、もう夕方。また外で夕食を買い込んできて、食べながらJリーグのオールスター戦をみて(悔しいけれどKリーグ選抜に敗戦、思った以上に面白かった)、書けずにいた今週分のブログを書いていたら、あっという間にもう夜中になってしまった。
 ほとんどなにもしないうちに1日が終わってしまったわけだが、まあここ1ヶ月程はほとんど週末は自宅にいられなかったので、今日くらいはよしとしておこう(…といいつつ、明日も一日家にいるつもりだが)。

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2008年8月 1日 (金)

減ったが痩せない

 本日は職場の健康診断で、引っ越してきて以降続けていた暴飲暴食の結果が少々怖かったりもしたのだが、とりあえず体調的には問題なく、一応健康という結果ではあった。体重についても、引っ越しの際に梱包した体重計をほどくのが面倒で、今日まで全く測ってこなかったのだが、幸い以前より増えておらず、むしろ減っているという結果に安堵したものの、いわゆるメタボ意識の高まりからか、ウエストの測定という項目があって、その結果は確実に以前よりも増えていたのには驚いた。ここしばらくきちんと測っていなかったので詳しくはわからないが、既製服のサイズで言えば5年前の2段階アップの値である。そりゃ昔のものが入らなくなるわけだよなあ…と。
 しかし考えてみれば、ウエストは増えているのに体重は減っているのであり、ということは減るべきでない部分が減って、減らすべき部分が減っていないのであって、これは体重が増えている場合よりもむしろ由々しき事態なのではないかとも思えてくる。メタボへの道を順調に進んでいるということか。これはまずい。とにかく夏場は体力を消耗するので、これ以上バテないためにもこの間は飲食物のコントロールはしないようにするとして、「天高く馬肥ゆる秋」とも言われる時期に入ったならば、なんとか対処しなければならなそうである。

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2008年7月30日 (水)

自分のダウンと近所の事故と

 ここのところ東京行きが続いて疲れたのと、夏の厳しい暑さにバテ気味なのと、それにエアコン等による自律神経系の不調とが重なって、ついにダウンしてしまった。前日の夜から調子が悪かったのだが、朝起きてみると体がだるく頭が重くて仕方がない。熱を測ってみると風邪をひいてしまったのか7度5分ほどある。これはおとなしく寝ていた方がよいだろうと考え、午前中は家で静養することにした。
 風邪をひいて体温が上がり、自律神経の方も調子が悪くなると、すっかり汗をかかなくなるから不思議である。つい先日までは家にいて座っているだけで汗が流れ出していたのに、全く汗をかく気配がない。むしろ寒気がしてエアコンや扇風機も控えめにするくらいで、むしろこの状態の方が夏を快適に乗り切れるのではないかとすら思うほどである。もちろん体調的にはつらいのだけれど。

 朝起きて体調悪くて午前休を決めたころ、やけに家の外が騒がしかった。救急車や消防車のサイレンがひっきりなしに響いている。うちの近くには消防署があるのでそのせいかとも思っていたのだが、どうも出動しているというよりは、近くに集まっているかのような印象。
 気にはなったがこちらも状態が状態なので、そのまま寝てしまったのだが、後でニュースをみると、うちの近所のパン屋で一酸化炭素中毒の事故が起きていたのであった。道路を挟んで反対側、すぐ目の前にある店で、少々お高いものの味はなかなかで、かつ店内にイートインスペースがあってコーヒーも飲めるので、転居して以降ずっと重宝していた店である。それこそ事故のあった前日、つまり昨日もそこで朝食を食べていたのであって。そんなところでこんなことが起きるとは。もしかしたら、今日も普通の体調であれば、そのくらいの時間に店にいた可能性もあるわけで。

 自分の体調不良によるダウンと、近所のパン屋での一酸化炭素中毒の事故。この両者の間には、もちろん何の因果関係もないわけであるが、ちょうど同じくらいの時間帯に、すぐそばで起きていたわけであって、何か妙な符合を感じてしまったりもする。

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2008年7月29日 (火)

麦酒から麦茶へ

 6月のEURO以降ビールの消費量がすっかり増えていたのだが、のどが乾いたからといってさすがにビールばかり飲むわけにもいかないので、ここに来て麦茶をつくることにした。いうまでもなく、麦茶の方がカロリーが低いし、体にも良いし、第一安い。つくるのは少々面倒だが(煮出しでないと飲む気がしないので)、それだけのメリットはある。
 で、麦茶をつくってみると、ビールを飲む量はめっきり減った。以前はうちに帰ってきて1本、風呂上がりに1〜2本飲んでいた缶ビールが、帰宅後のは麦茶に代わり、風呂上がりも麦茶プラス時々ビールという感じで、すっかり半分以下になっている。結局のところ、飲み物がほしかったのであって、アルコールを欲していたというわけではないのだろう。
 しかし、その分麦茶の減り方は早い。1日2日であっという間になくなってしまうので、毎日のようにつくらなければならない。毎日暑くてかなりの汗をかいているのだから、それくらい取らないともたないということなのだろう。飲んだ分が即汗となって外に出ているような感じで、まるで自転車操業である。

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2008年7月27日 (日)

旧友がつなぐ新しい縁

 東京時代の仕事関係の旧友が京都の方と結婚することになり、そのお披露目会が大阪で行われた。関西に移って来たこともあり、友人と旧交を温める機会はあまりないのだが、こういう会があるといろいろな友人にまとめて会えるので、大変ありがたい。
 大学時代の後輩や東京にいた頃に一緒にやっていた仲間にも久しぶりに会うことが出来たし、関西で最近知り合った人々ともまたいろいろと話をすることが出来た。さらにはこういう場を通じて、また新しい人達とも接点を持つことが出来る。普段の研究会や学会でもこういう接点はあるわけだが、結婚祝いという場になるとより打ち解けやすくなり、話もしやすい気がする。
 人と人とがつながり、それを祝う人々の集いで、また新しいつながりが生まれる(かもしれない)。そんなふうにして人はつながっていき、新たな社会をつくってきたのだろう。そんなつながりを追っていけば、全国の人、さらには全世界の人はつながってしまうのだろうか。などと考えるのも面白い。

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2008年7月26日 (土)

ただそのままにいるだけで

 東京出張の帰り道に、大阪在住の知人夫婦宅におじゃました。5月にお子さんが生まれたばかりで、そのお披露目的な意味合い。3月にもお会いしていたのだが、ずっと以前から知っている友人が、わずか数ヶ月後にお子さんを生んで、家族が一人増えているというのは、ちょっと不思議な気もしてしまう。
 私自身はそれほど子供が好きというわけではないのだが、親しい友人夫婦のお子さんであり、生まれたばかりの小さな子となると、とても可愛らしく思えてしまう。比較的おとなしい子で、泣いたり騒いだりすることもほとんどなかったからかもしれないが、ずっと見ていても飽きないという感じ。
 幼い子供、特に赤ちゃんの場合は、ただそこにいるだけで、周りの雰囲気を明るく暖かいものにしてしまう。人は育つにつれて周りからいろいろなことが求められるようになり、そんな要望に応えられないと個人や家族あるいは社会から受け入れられなくなる部分もあるわけだが、赤ちゃんの場合はそこにいるだけで価値があるというか、ただそのままにいるだけでよい。人間というのはもともとはそういう存在だったのだなあ、と思ったりもした。
 また、食べて(というかミルクを飲んで、だが)寝てまた起きて…というシンプルな行動をみていると、人間というのはもともと“生物”なのだなというのに気づく。大きくなると、日々の仕事や人間関係などに追われて、食べる・寝るという生物に欠かせない部分が(どちらかといえば)後回しになったりもするわけだが、そういう部分を見失ってはいけないなあ、などとも思った。
 なんというか、人間という存在の本質をそこに見たような気がする…などと難しげなことを書いているが、こんなことを考えたのは帰った後であって、見ている間はただ可愛いなあと思っていただけだったりするわけだが。

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2008年7月 9日 (水)

ネタが尽きる

 毎日書くことを目標にしてはいるのだが、徐々にリアルタイム更新が出来なくなっていき、また書くネタも尽きつつある。さすがにEUROのようなお祭りが続いていた時期とは、状況が大きく異なる。ブログの訪問者もめっきり少なくなっていて、なんとか知人だけが残っていたような状態が、今や知人すらほとんど訪れなくなっている。まあ、読者をとにかく増やしたいわけではないのだから、よいのだけれど。
 日本国内だけでも1690万のブログがあるというが、その8割は更新されていないというのもうなづける気がする。そりゃ書くネタなどそう続くものではない。日々の暮らしを淡々と書いていればよいのかもしれないし、日々思うことを書きなぐっていけばよいのかもしれないが、そんな日記だったらわざわざ全世界に向けて発信する必要もないだろう。では発信する意味のあるネタとは何か?とか考え始めると、書けなくなってしまうものである。私もそうして何度も挫折・中断したものである。
 1ヶ月に最低一度更新されるブログが約300万とのことだが、そのうち多くの人に読まれているものなどごくごくわずか、さらにコメントやトラックバックがついて盛り上がっているものになれば、さらに割合は激減するのだろう。にも関わらず、メディア(というかIT業界の宣伝か)は情報発信ツールとしての可能性を日々喧伝し、ブログを始めれば知らない人々とつながって楽しい日々が送れるようなイメージを植えつける。で、始めてよいものの、書くネタに困り、書いても読まれない/反応がないことに失望し、ごくわずかだろうが心ないコメントに心を痛めて、更新する気力が薄れて辞めてしまったのが上述の8割…ということなのかもしれない。
 しかし、そうして更新が止まってしまった、筆者すらも関心が持てなくなったブログというのは、この先いったいどうなるのだろうか。誰にも気づかれないままネットの海を永遠に漂う…のかと思うと、なんとなく「言葉の墓場」みたいなイメージが感じられて、若干の哀愁を感じると同時に、ものすごく虚しくもなってくる。

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2008年7月 3日 (木)

継続は力になるか?

 EURO期間中は毎日ブログを書いていたので、大会が終わったからといってこれでやめてしまうのが少しもったいなくも思えてきたから、これからもなんとか続けていこうと考えてみたりもしている今日この頃であるのだが、だからといってそれに意味があるかどうかはよく分からない。
 まだ本職の研究関係の方なら、書くことで物事を考えて、それがいずれ何らかの形でその後の研究につながるかもしれないわけだが、こちらの趣味の方を書いたところで、文章力が上がるともあんまり思えないし、直接的なメリットはあまりなさそうな気がする。毎日書き続けた方が読者は増える、というか維持出来ることは、アクセスのデータを観ていれば一目瞭然で、特にタイムリーなネタを新鮮なうちに出すのが効果的ではあるのだが、1日に何百・何千アクセスあるようなものになるはずはないし、別に多くの人に読んでもらうことを必ずしも目的にしているのではないわけで。まあ、ブログを書くことを想定しながら日常生活を送る、例えばサッカーを観るとか音楽を聴くとか街を歩くとかしていると、その分細かいところまで意識が向くようになって、物事をより深く捉えられるようになる…かもしれない、というあたりが、考えられる一番のメリットと言えるかもしれないけれども。
 「継続は力なり」とも言うが、とはいえこれを継続したから何の力になるのかは全く分からないのだけれども、まあどんな形にしろ「力」がつくことは悪いことではないはずなので、まあ無理をしない範囲で続けられればよいなと思う。

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2008年7月 2日 (水)

一本超えれば別の街

 知人に天王寺付近を案内してもらう。大阪に来たのを歓迎していただく会の一環で、ディープな大阪をみせていただけるということだったのだが、思いもしなかった風景を見ることが出来た。
 駅前の商業エリアから少し歩くと、再開発が予定されている空き地が広がっている。両側をフェンスで塞がれながらもアーケードだけは残る商店街を抜けていくと、再開発ですでに出来上がった住商複合施設が立ち並ぶ。低層階がお店で上層階が住宅というのはよくあるが、駐車場ビルの1階が銭湯だったりするのが面白い。低層部分の商業施設の中を通るが、両側の店のほとんどはシャッターを閉めていて、出来てそう時間も経っていないのに(だと思う)、古ぼけてさびれてしまった商店街のよう。ここを抜けると今度はそれこそ昔ながらのさびれた商店街が続き、その先には昔の遊郭街の雰囲気を残す一帯が広がっている。で、そこから道を一本超えると高層の集合住宅が建ち並び、その向こうはまた再開発の予定地域で空っぽのエリア。仮設の商店街もあるのだが、そんな中に古い居酒屋の建物が1軒だけ残っているという。
 …などとつらつらと書いてみたが、この間歩いた道のりはせいぜい1〜2km程度。こんな狭いエリアの中に、これだけ違う街の様相がみられるのだから面白い。大阪の街は地区毎に雰囲気が大きく変わるとは聞いていたが、これだけ異なっているとは。道一本超えれば、全く別の街のようである。モザイク状というか、不連続な街というか。面白い、としか言いようがない。

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2008年6月17日 (火)

聖地・甲子園へ

 大学の友人(大の阪神ファン)に誘われて、甲子園へと行く。大阪に来てからは、とにかくどこに行っても阪神戦のナイターが放送されているのに驚いたのだが、今回甲子園へ行ってみて、その意味が少しは分かったような気がする。Jリーグのように“地域密着”とかあえて言わなくても、阪神は完全に大阪の人達のチームなのだなと。
 球場に行くのは、10年程前の札幌ドーム以来、屋根なしだとそれこそ小学生のころ以来になるのではないか。3塁側の一番上の方の席だったが、思ったよりもよくみえる。もちろん距離はあるわけだが、周りの応援はそんなものは全く感じさせず、球場全体が一体となっている感じが良い。とはいえ、マスゲーム的な応援というわけではなく、各自飲食をしつつ会話をしつつではあるのだが、意識は基本的にグラウンドに向かっており、プレイにきちんと反応するあたりから、そういう一体感を感じさせるのかもしれない。選手毎の応援歌とそれに合わせた応援の仕方(メガホン等をならすタイミングとかが結構細かい)も、バラエティに富んでいて面白い。
 試合の方は、先制されて追いついて、また点を取られて、最後に逆転してリリーフが締めるという、これまた面白いものだった。これくらいの接戦で、しかも追いついて逆転という方が、緊張感があってよい。ベテラン下柳の先発、関本の4打席連続犠打(日本記録タイ)や、JFKのそろい踏みなど、見所もかなり多かった。応援の方も終盤になるにつれて盛り上がってきて、攻勢の場面で出るという応援“ワッショイ”が何度も飛び出し、ラッキー7&勝利後のジェット風船飛ばしに、試合後の六甲おろし斉唱(?)など、甲子園ならではの雰囲気が十二分に楽しめた。
 普段はサッカーファンなわけだが、こうして野球をスタジアムで観るのも良いものである。というか、甲子園での阪神戦のノリはちょっとクセになりそう。こんな雰囲気が味わえるサッカーの試合というのも、そうないのではないか。こういうのを観ると、サッカー文化もまだまだ根づいたとはいえないなという気がしてくる。

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(左:球場全景、右:マウンド付近をみる)
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(左:飛び上がる風船、右:勝利を喜ぶファン)

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2007年9月 1日 (土)

夏の終わりの多忙な1週間

 今週は仕事の締切や出張などが続いて結構忙しい1週間だった。備忘録がわりにざっと振り返ることとしよう。
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 先週末から月曜にかけては締切間際の原稿書きに追われる。冷房の効かないオフィスで暑さにうだりながらも、なんとか作業をこなす。若干納得いかない点もあるが、あとでまた考えて校正で直すつもりで、月曜に提出。
 その月曜の夜は、地元で活動するNPO関係での取材対応と、とある案件の話し合い。研究がらみの話ではあるが、本業としてよりも、こうして一市民として活動している方が楽だし面白い。やっていること自体はほとんど同じなのに、こうも感じ方が違うとは。
 火曜の午後は、翌日朝からの学会のために羽田空港から福岡へ。ここ数年はなんだかんだで毎年一度は福岡に行っているので、改めて観るものもないかなあ…と思いつつ、現地のエンタメ情報を調べると、なんとGANGA ZUMBAのライブがあるではないですか。これは行くしかないだろうということで、会場のIMSホールへ。この歳になるとオールスタンディングは少々つらいので、会場一番後ろで壁に寄りかかってみていたのだが、熱い演奏にあおられてついつい盛り上がってしまい、結局周りとともに踊りまくる始末。最近は複数のアーティストが出るイベント的なライブしか観ていなかったので、1つのアーティストだけで最後まで楽しめるか不安にも思ったのだけれど、そんな心配は全くの杞憂。素晴らしいバンドサウンドに酔いしれた2時間であった。あまりに気分が良かったので、終演後はもつ鍋&ビールにラーメンを一人ではしご。摂取カロリー分くらいはライブで消費して±0だろうと思いたいところだが。
***
 翌日からは建築学会の大会に通う。これまでの学会では、途中少し外出して現地見学などをするところなのだが、今年はまじめにきっちり3日間朝から通う。興味のある発表やシンポが多かったのも理由の一つだが、初心に戻ってきっちり聞いて自分の「立ち位置」を見直してみようと思ったので。細かい感想はいずれ別ブログで書くつもりだが、結果的には立ち位置は今一つつかめず。関心&関連ある分野は多岐に渡り、いろいろなところを渡り歩いているので、どの分野の会場に行っても「アウェイ」な印象なのである。こここそがホームグラウンドと感じられるところがない、懇親会でも明確に"ファミリー"だといえるグループがあるわけではないので、「"ホーム"レス」というか「根なし草」というか、そういう気分になってしまう。まあ、境界的なことを狙ってやっている以上、ある種の孤独感には耐えなければならないのだろうが。などと言いつつも、若手研究者の懇親会で久しぶりに/初めてお会いした方々との会話は楽しかったし、全体の懇親会での諸先生方のお話も面白かったのだけれど。
 ちなみに夕食であるが、初日は海鮮系の居酒屋で刺身などを堪能した後長浜ラーメンで締め、翌日は懇親会でのパーティ食の後に居酒屋で地元の方の薦めるつまみに再度もつ鍋を、最終日は水たきを定食形式で楽しんだ後に博多ラーメンを食べ満腹状態で帰路の飛行機に乗る、といった様子。十分満足だが、カロリーがかなり心配なところ。
***
 土曜も研究がらみのシンポジウムへ。NPO等の行う市民活動の報告会で、学会がまだ続いているような感じではあるが、研究発表を聞いているよりよっぽど面白い。研究より進んだ新しいことをやっているし、何らかの形で実際に社会を変えようとしていて、完全に研究の方が"遅れて"いるなと。この差はどこから生まれるのか、ここはきっちり考える必要がありそうである。シンポ終了後は懇親会で、昨日までに引き続いてまたまた食べて飲む。
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 という感じで、多量のカロリーとともに、様々な新しい情報を取り入れることの出来た1週間だった。今後は取り入れたものを自分の中できっちりと消化して、エネルギーとして燃やして、外に出していくことが必要。でないと、無駄に知識と脂肪がたまっていき、身動きがとれなくなりそうな。頭も体も、メタボにならないようにしなければ。

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2007年6月19日 (火)

社長とはねえ…

 ブックオフの会長と社長が退任するとのニュースをみて、ちょっと驚いた。新しい社長は、なんと大学の同級生。入学年と学科が同じ、研究室も一緒で、学部4年から修士までの3年間、隣り合った机でともに研究をしていた仲間なのである。転職してこの会社に入っていたのは知っていたし、役員クラスの仕事をしていることも知ってはいたのだが、まさかこんなタイミングで社長になるとは。
 すごいなあと思うし、同期としてある意味誇らしくも感じるのだが、この大変な時期に重要な職につくというのは、結構大変なことに違いない。まあ、判断力と行動力に優れていた彼のことだから、立派に役目を果たせるものと思うが。古い仲間の健闘を祈りたい。
 しかし、一方は急成長している会社の新社長、他方は来年の職も分からないしがない研究者。10年ちょっと前には、すぐ隣の席にいたのにねえ。

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2007年5月24日 (木)

苛立ちつのる今日この頃

 最近はやけにいらだつ出来事が目について仕方がない。おかげでストレスはたまりっぱなしである。
 通勤時に周りを走る車に苛立つし(もっと周りを気にして走れ)、TVで流れるニュースにも(なんと理不尽な事件の多いことか)、それに対する司会者等のつまらないコメントにも苛立つし(一面的なくだらんことを言うな)、地元でどんどん建っているマンションにも苛立つ(売れれば何を造ってもよいのか)。仕事では、自分一人で作業を進める人とか(周りと協力してもよいのでは)、共同研究の相手に対して(勝手に自分だけの業績にしようとするな)苛立って仕方ない。こちらに配慮している/気を使っているなどと言いながら、その実自分の思う通りに物事を進めたがる人とかも。
 いずれも結局のところ、自分勝手な人が多いことに苛立っているのだろう。こちらが小心者で、周りに気を使ってばかりだからかもしれないが、周りや相手のことを気にせずに自分の思うように行動する人がどうも気になるようだ。若干人間不信にも近い状況、といってもよいかもしれない。
 私の中での耐えられるレベルの"閾値"が下がってしまったのか、それとも多くの人達が自分勝手になっているのか。どうも後者のような気がしてならない。別に市場重視・競争社会を指向する今の政治のせいだとは言わないが、どうも社会全体が悪い方向に向かっているような気がする。なんだか生きにくい時代になったなあ…と思う今日この頃である。

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2007年4月28日 (土)

仕事は残る、疲れはたまる

 目前に迫った旅行のために、出発までにやるべき仕事をこなす日々が続いている。現在はとある学会の投稿論文と、とある研究の成果報告書原稿を作成中。徐々に進んではいるのだが、まとまってくれば問題点もみえてくるわけで、まだまだやることは残っている。
 その一方で疲れはたまっていく。この数週間というもの、週末もほとんど休まず毎日深夜まで作業をしていて、疲れすぎて逆に寝付けないし、寝ても翌朝どんよりとした疲れが残っていて体が重い。このままでは旅行前に体調を崩しそうで、少しセーブしないと旅行中に困りそうだが、旅行に行くためには今やらねばならないという、にっちもさっちもいかない状況である。
 そういえば、去年ドイツに旅行した時も、疲れがたまって直前に体調を崩し(仕事ではなく連夜のTV観戦が原因だったが)、現地で風邪が悪化してひどい目にあった。特にビールを心ゆくまで飲めなかったのは、いまだに口惜しく思う(そんなことかと言われそうだが、私にとっては結構重要なのだ)。今回はそのようなことがなければよいのだが、徐々に風邪っぽい症状が出ているし、困ったものだ。
 どうなるかは分からないが、泣いても笑っても、残された日はあと2日のみ。

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2007年4月 1日 (日)

新年度はじまる

 ついこの間新年になったと思っていたら、いつのまにかもう新年度である。月日が経つのは早い。
 この2007年度というのは、私にとっていろいろと意味のある年になりそうである。一番大きなのは、これまで勤めてきた職場の任期が終了するので、次の職を探さなければならないこと。これまでも探してはきたのだが、研究者の世界もなかなか厳しいもので(人は増えるがポストは減ってる)、結局任期の最終年度に入ってもその先が見えない状況。次が見つかるにしろ、見つからないにしろ、今年度中に来年度以降の身の振り方を決めなければならず、ある意味人生の転機になる年かもしれない。
 転機を迎えて次に進むためには、同時にこれまでやってきたことも"清算"しなければならないわけで、ここ数年やってきた仕事をきちんとした形でまとめて、一旦けりをつけることが求められる年になる。この何年かは次から次へといろんなことをやってきたので、ネタは山のように(と言う程でもないが)あるのだが、整理もされずに積み上げてあるだけなので、これらを整理整頓して、片付けるべきものは片付けてしまわないと。
 次に進めば、住むところや環境も変わる可能性が高いので、その辺も考えなければならない。以前職場と住む場所が変わったことで、趣味の中心が音楽からサッカーへとシフトしたのだが、最近は音楽の趣味も変わってきたし、サッカーに関しても以前ほど熱くなれなくなってきているので、趣味についてもある種の転機を迎えている感じもする。
 そういう意味では、仕事以外のことも含めて、今後の"生き方"全体を見直す時期が来ているのかもしれないなあ…などとも思う、新年度初日であった。

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2007年1月 7日 (日)

「和」の一日

 正月七日ということで、今日は一日「和風」な感じで過ごすことになった。
 まずは神田明神で初詣。もう遅いかと思っていたら、結構人がいて、並んでいるのにちょっと驚く。ここに来るのはかなり久しぶりなのだけれど、参道から境内までの雰囲気は変わっていない。境内からみる景色は、東の方向に秋葉原の再開発ビルが壁のように並んでいて、昔とは全然違うけれど。都会の真ん中に、こうしてずっと変わらない空間があるというのは、なかなかよいことなのではと思ってしまう。今の街をみる時や昔を思い出す時の「基準点」になるというか。神社の役割って、そういうものなのだろう。初詣というのも、年の初めに、自分の「基準」「基盤」を改めて思い出すためなのかもしれない。
 参道の甘酒屋で少し休んだ後(体も心も休まる感じがよい)、続いて湯島天神へ。ここに初めて来たのは、大学受験を控えた十数年前。風邪を引くかもしれないのに年越しでお参りに行き、そのご利益もあってか合格したので、その春にお礼参りして以来、ほぼ毎年この時期に足を運んでいる。今は受験とは関係ないけれど、研究というのを職業としている以上、「学問の神様」にお参りするのはまあ当然のことだろう(ちなみに福岡に行った際にも、ほぼ毎回太宰府天満宮に足を運んでいたりする)。こちらはとても混んでいて、受験を控えた学生や親御さんでごったがえしている。特にお札やお守りを買うところには、長蛇の列。こちらも並んでお守りを買ったが、さすがに「合格祈願」とはいかないので、「学業成就健康」のものを選ぶ。今の立場で、何をもって学業の「成就」と言えるのかは分からないけれども(いつまで経っても終わらないもののような…)。
 若干寒くなって来たので、湯島駅近くの和菓子屋でまた一休み。雰囲気に惹かれて、最近はほとんど食べることのなかった「お汁粉」を頼んだのだが、これがよかった。くどすぎない甘さの汁粉と、とろとろに溶けているお餅の食感が気持ちよい。久しぶりに甘党の血が騒いで(?)しまい、つい追加でみたらし団子も頼んでしまう。こちらも炙られてほんのり暖かい団子と、甘くてしょっぱいたれの組み合わせが絶妙。
 店を出て寒風の中をしばらく歩き、本日最後の目的地、鈴本演芸場へ。友人に誘われての、私にとって初の寄席観賞である。はじめて行く劇場というのはいつも興味深いものだが、寄席となるとさらに興味深い。客席自体は普通のホールと変わらないのだが、椅子の前に折りたたみテーブルがついていて、飲食物を買って持ってきて自由に食べられるというのが面白い。正月公演ということで客席は満員で、見回すと若い人々、なかでも女性の姿が多い。最近寄席が若い人に人気と聞いていたが、ここまでとは思わなかった。まあ、その分、客席の雰囲気は普通のコンサート等とあまり変わらなく見えて、寄席ならではという雰囲気ではなかったけれども。開演中も、多くの人は真面目にステージを見ていて、のんびり飲食をしている感じではなかったし。
 演目の方も正月公演用の特別なものということで、多くの出演者が入れ替わり立ち替わりするのはよいが、一人の持ち時間が少なくて、落語家などは最初の「つかみ」だけで終わってしまうような感じ。そういう意味では、その人の本当の「芸」が見られず残念な気もしたが、その短い時間の中でも各人の個性や技は感じられるもので、この人は面白いなとか自分に合っているなというのが分かってくる。必ずしもトリに近い「上位」の人が、面白い(と感じる)わけではないのも興味深い。正月公演は、多分、オムニバス的なライブと同じようなもので、この場で自分の好みの人を見つけて、その後じっくりと見るようにするのかもしれない。
 という感じで、和を大いに楽しめた一日であった。途中電車やバスに乗らず、ずっと歩いて移動していたのも昔の町の人の暮らし方みたいだったし、同行した友人が着物だったのも、雰囲気が出てよかった(さすがに自分も着ようとは思わないのだが)。年に一日くらい、こういう和風な時間を過ごすのもよいかもしれない。帰り際に、コーヒー店で休んでしまい、最後まで「和」とはいかなかったのが少々残念ではあるけれども。

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(左:神田明神の参道、右:ごったがえす湯島天神)

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2006年12月11日 (月)

やりたいこと/やらなきゃいけないこと

 日々の生活の中では、大きく分けて、やりたいことと、やらなきゃいけないこととがある。やりたいことだけやっていければよいのだが、もちろんそんなふうにいくはずはないし、そんなことは十分分かっているつもりだが、「やらなきゃいけないこと」をやっているうちに、どうも本当に「やりたいこと」が見えなくなっているような気がしてならない。
 私のような研究という(一応)好きなことを仕事にした身であっても、やってることの半数以上はなんだかんだいって「やらなきゃいけないこと」だし、やらなきゃいけないことをこなしているうちに、いつのまにかそちらが活動の中心になってしまったりする。さらに、やりたい研究であっても、周りからやってほしいと頼まれると、それが「やらなきゃいけないこと」に変わってしまい、その時点でやりたいことも「やりたいこと」ではなくなってしまったりするのである。
 日常生活でも、掃除・洗濯・炊事など「やらなきゃいけないこと」はいろいろとあるし、趣味であっても、好きでやっているはずなのに、いつの間にかまるでやらなきゃいけないかのように感じてしまうこともある。例えば、頻繁にライブに行っていた頃は、もちろん好きで通っていたのだが、そのうちに行くのが当然という気持ちになってきてしまい、ある意味機械的に足を運んでいたような時期があった。CDを買うのも、買って聴きたいから買うというよりは、出たからには買わねばならないという意識が強くなり、買ってから聴かないようなものも出てきてしまっている。最近ではサッカーがそれに近い状況で、サポーターなのだから行って当然という感じになってきて、数多く観ていくうちに勝った時の興奮や負けた時の悔しさも薄れてきているが、それでも義務的に通うような状況になりつつある。さらには、友人に会うのも、自分が会いたいと思うから会いにいくのか、会うべき・会わねばならないから会うのか、その辺の区別がつかなくなってきてしまっている。また時には、食事を食べようと外出するものの、何が食べたいのかが思いつかないようなことすらある。これはちょっと怖い状況である。
 「やりたいこと」と「やらなきゃいけないこと」の区別がつかないということは、つまり「やりたいこと」が見えないということであって、これでは日々のモチベーションが生まれてこないのは当然だろう。やりたいのかやりたくないのか分からないままやるのではなく、ここらで一旦立ち止まって、本当に何がやりたいのかを考え直すべき時期に来ているのかもしれない。仕事に関しても、趣味や生活に関しても。
(ちなみにタイトルは、クラムボンの「コントラスト」という曲の歌詞から。この曲で歌われているように、「僕は僕を…とりもどせる」時間が得られればよいのだけれど。)

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2006年10月 9日 (月)

利用者の気持ちをくんだシステムを

 本日はナビスコカップ決勝のチケット発売日であった。アントラーズの10冠がかかった大事な試合、サポーターとしてはぜひとも観たい。できれば良席でじっくりと。ということで、朝からローソンに足を運んだ。発売開始のしばらく前に行くと誰も並んでいなかったので、10時ちょうどに一番で受付を開始。申込の手続は順調に進み、SS席の予約を無事に完了。
 あとは予約引換券をレジに持っていって購入するだけ…だったのだが、ここでトラブルが発生。なぜか券が出てこないのである。お店の人を呼んで機械を開けてもらうと、プリンター部分の調子が悪かったのか、紙送りがうまくいっておらず、上下方向に極端に圧縮された状態で印刷されており(以下の写真)、バーコード等の情報が全く認識できない状況。これではチケットが発券できない。

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 店員に「再発行できないのか」と相談するも、「もう一度新たに申し込んでもらうしかない」との回答。やりとりを何度か繰り返すが、店員は結局アルバイトだかららちがあかないし、もう一度申し込んだのでは売り切れてしまうので、Loppiの端末から問い合わせセンターへと電話するが、そちらの担当者も「再発行は出来ない」「もう一度申し込んでもらうしかない」の一点張り。なぜ出来ないのか?と問いただしても、「システムの都合上、再発行が出来るようにはなっていない」と繰り返すだけ。などと押し問答しているうちに、発券期限の30分は過ぎ去ってしまい、せっかく取れた(はずの)チケットは自動的にキャンセル扱いに。新たに申し込んでみても、当然ながら売り切れとなっていて、結局チケットはとれなかった。
 店員や問合せ担当者の言っていることが正しいのかどうかは分からないが、端末を通じて申込は済んでいて、こちらの名前や電話番号も入力して、チケットが一旦確保されているのだから、どうして引換券の再発行や、チケットの発行が出来ないのか、理解に苦しむ。ということは、店やシステムのミスで券が発行できなくても、あちら側は全く責任を負わないと言うことなのだろうか。申込が済んだ時点で、チケットの購入契約は結ばれているのであれば(あれだけ「変更・キャンセルは出来ません」と繰り返すのだから、契約したのと同じではないのか?)、チケットを責任もって引き渡す義務があると思うのだが。
 サービスやシステムをつくって提供する側は、チケットを取る人、特に発売初日に並んで取る人の気持ちというのを分かっているのか、と思ってしまう。チケットを取るべく、みんな必死なのである。今回はそんなに大変ではなかったが、数年前の鹿島-浦和戦のように、徹夜して並ばねばならないような場合に、こういうトラブルが起きたらどうするのだろうか。「すみません」と謝って済むことではない。
 そういうふうに考えれば、何かトラブルが起きたとしても、確実に予約したチケットを引き渡せるように、再発行などのリスクヘッジのシステムを用意しておくべきと思う。というか、そういうシステムは当然あると思っていたのだが、ないことに今回初めて気づいて驚いているのであるが。コンビニのシステムというのはよくできていて便利だなあと思っていたのだが、最後の印刷という単純なところでダメになるのかと。それではどんなに大きなシステムをつくったところで、全然意味がない。

 ちなみにこの件については、カスタマーセンター等に問い合わせているのであるが、どういう回答が出てくるのか、待ちたいと思う。もし本当にリスクヘッジのシステムがないのであれば、あまりに危なっかしくて、今後使う気にはなれないなと。

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2006年8月10日 (木)

ブログを書く時間が…

 WM06のレポートを書くといいながら、結局半月以上書けていない。日々忙しいのと、仕事関係で書かねばならない原稿等をいろいろと抱えていると、家に帰ってまで文章を書こうという気が起きないのである。書きたいことは書きたいし、内容自体はすでに頭の中にあるのだが、それを外に出す作業が出来ないという、少々つらい状況。
 などと言っているうちに、次の海外渡航は刻々と迫っているし(仕事ですが)、書くべきものがたまってしまう。この間の購入CD(20枚はある)や観戦試合(オールスターやらJ再開戦やら)のことも全く書いていないし。
 こういう状況にあると、本業の文章も書きつつ、ブログも日々更新している作家やライターの方は、すごいなと思ってしまう。それくらい書くのが好きなのでしょう。私も書くのは嫌いではないのだが…。

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2006年7月17日 (月)

WM06の旅 雑感

 レポートはいずれ書くつもりではあるが、その前に、今回のワールドカップの旅@ドイツの全般的な感想を。今回は主題の「サッカーを観る」こと以外に、本業関係の「街を観る」のと、本場の「ビールを飲む」のを目的としていた。しかし、旅行直前に引いてしまった風邪が全く治らず、現地で体調は悪化する一方だったため、全ての目的を追求することは出来ず、「サッカーを観る」を最重視して、「街を観る」と「ビールを飲む」のは後回しにせざるを得ない状況に。特に「ビールを飲む」は、体調を考慮して、試合のある日に1日1杯に限り飲むことに限ったため、大いに不満が残った。朝早く出発して、移動の途中で「街を観る」予定も、体調がすぐれず朝の出発を遅らさざるを得なかったため、結果としてあきらめざるを得なかった街も出てしまった。
 しかしその分、ある意味で「サッカーを観る」のに全精力を注いだわけで、それはそれで悪くなかったかもしれない。「ビールを飲む」ことがなかったので胃腸の調子を崩すことはなかったし、「街を観る」のも開催都市の主要部分を観るのに集中出来たともいえるのではないか。あとは体調が悪かった分、街を歩くだけでなく美術館・博物館の見学に時間を取ったので、少しはドイツ文化の理解にもつながったように思える。
 それにしても、ドイツという国は、「サッカーを観る」ことに関しては素晴らしいホスト国であった。スタジアムはサッカー専用が多く、またそれぞれに個性的なつくりで面白く、大規模なところでも客席とピッチの距離が近い。スタジアム自体は街の郊外にあるものの、街中からは数十分で着くことが出来る。街の中心にはどこでも広場と歩行者モールがあり、そこが試合前後のサポーターのたまり場になるし、また同時にパブリックビューイングの会場にもなる。街の至る所にサッカー関係のものがアレンジされて雰囲気を盛り上げ、飲食店の店頭にテレビが備え付けられていて試合がみられるので、移動中でも試合の経過を常に把握することが出来る。こういうのをみると、やはり日常からサッカーが根付いている国とそうでない国との違いを、感じてしまうわけである。そういう意味で、本物のワールドカップを満喫出来たように思う。
 これで体調が良ければ、もっとよかったのであるが。体調が悪いと意識が自分の体の内側に向けられてしまうので、どうしても外に対する意識が弱まってしまいがちである。しかも今回の体調不良は、のどの痛みと咳という形で表れたので、おのずと周りの人に話しかけるのもためらわれてしまった。もともとオープンな性格の人間でなく、英語にも自信がないところに加えて、体調のためコミュニケーションする意識もそがれてしまったために、今回はあまり他の観客と話すことがなかったのは、本当に残念なことである。
 このリベンジは2010年で…とはいえ、南アフリカは若干不安だしあれだけ遠いところに行けるかは怪しいので、2008年のユーロで果たすこととしよう、などと思い始めているところだったりする。

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2006年5月 4日 (木)

Architecture, Football, and Music Day -Part 1

 5月4日は「MUSIC DAY」とのこと。都内を中心に全国各地のライブハウス等で、様々な音楽イベントが同時に開かれる。面白いのは1つのイベントに複数のアーティストが出ることで、一カ所で様々な人をみることが出来るので、音楽の幅が広がるのが嬉しい。一昨年も行ってみたのだが、なかなかお得で良かったので、今年は2つをはしごしてみることとした。

 まずは、昼過ぎから駒沢公園で行われる野外イベントに。駒沢公園といえば、以前目黒区に住んでいたときは近かったので、よく自転車で走ったものだが、この数年は足を運んでいなかった。久しぶりに行ったのだが、公園の中の雰囲気は全く変わっていない。スポーツを楽しむ(主に)若者と、ジョギングコースを走る老若男女、公園内を散策する家族連れやお年寄りと、幅広い層の人たちがGWの気持ちの良い青空を楽しんでいた。こういう空間は東京にはそうあるものではなく、本当に貴重である。
 周知の通り、この公園は東京オリンピックの会場としてつくられたもので、蒼々たる建築家が手がけている。つくられてからもう40年以上が経つわけだが、今みても十分に面白い建築である。ああいうシンプルではあるけれども強く大きな空間構造を持つ建物はその後つくりにくくなっているから、むしろ今の方が面白くみえるのかもしれない。おそらく今こういう施設をつくるとしても、あんなに広場の空間はとれないだろうし、駒沢通りから上ってくる幅の広い象徴的な階段もつくれないのではないか。「なんでこんなに広い階段が必要なんだ?それだけコストをかける意味があるのか?」とか言われたりして。世知辛い世の中になったものである。
 公園の中が変わっていない一方で、周りの風景は結構変わっていた。特に目につくのが、公園南側の都立大跡地の巨大マンションと、公園北に見える駒沢通り沿いの超高層マンション。どちらも近年大きな問題になった、悪名高き建物である。都立大跡地のマンションは、公園の南端に巨大な壁としてそびえ立っており、醜悪を通り越してある種見事ですらある。駒沢通り沿いのマンションは、広場からみると中央の塔と並び立っているようであり、こういう見え方を想像して建てられたのだとしたら、それはそれで見事としか言いようがない。
 国家的な事業として明確なコンセプトに基づいて設計され、数十年経てもその価値が変わらない公園内の建築物と、そこからの景観を大きく阻害している、経済原理に基づいて建てられた設計思想も何もないようなマンション群。この対比はなかなかすごいものがある。この数十年で、時代が変わったというか、社会や人の思想が変わったというか。
(Part 2に続く)

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左:壁マンション、右:塔マンション(左奥側)

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2006年3月14日 (火)

ビールも格差社会?

 最近コンビニに行くと、新しいビールの銘柄をよく見かける。安い発泡酒の種類が増える一方で、価格の高い「プレミアム」なビールも増えてきている。昔はエビスやハートランド、モルツスーパープレミアム(昔のはフルーティな味で良かった)くらいしかなかったのが、近年は各社がこぞって出しているのが面白い。
 今日試したのは、サントリーの「ワールドセレクトビア」と、サッポロの「畑が見えるビール」。前者はしっかりとしたコクがあり、後者はさっぱりとした飲み口で、どちらも面白いものだった。
 この他にも、キリンのチルドビールのシリーズや、アサヒの酵母ナンバーとか(787,111はスーパードライを出している会社とは思えないほど(笑)しっかりとした味だ)、面白いものがいろいろとある。
 こうみると、低価格の発泡酒、その他の雑種の開発が進められつつも、他方で価格は高いが本来のビールらしいビール(前述の多くは麦芽100%だ)が、ある種実験的ではありつつも、多品種出てきているのは非常に興味深い。軽くて安いのを売りにする発泡酒と、高いが味わいのある本格ビールとに、二極分化しているようにも思える。言うなれば、ビールの世界も「格差社会」化しているかのような。
 私はビールに関しては原則的には麦芽100%しか認めないというスタンスをとっているので、今のこの現象の中では、どうしても高い方の商品を選択せざるをえない。私個人は必ずしも上流というわけではないのだが(笑)。

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2005年7月 8日 (金)

London...

 ロンドンには1年程前に一回しか行ってないのですが、爆発現場の地図によれば、Russel Squareは泊まったホテルの最寄り駅だし、Tavistock Sq.の前も何度も通ったし、その他の駅も電車に乗ったりして通っているし…自分が歩いた街だと、衝撃もさらに増す気がします。
 行ったことのある土地に親近感を覚え、そこで起きたことを身近に感じるという意味で、やはり海外に出て行くことは重要だな、と改めて感じたわけですが、つい昨日五輪開催決定を喜ばしく思ったにもかかわらず、翌日にこんな悲しい気持ちを覚えてしまうとは…言葉がありません。

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2005年6月28日 (火)

Home & Away

 日本対ブラジル、という試合を、昨日バレーボールでもやっていたけれども、女子バレーボールの試合というのはいつも日本開催、つまりホームでは?と思えるのだが、気のせいだろうか。同じ棒(?)のようなものを持って、同じタイミングで同じ歓声をあげる人々(若い女性が多い様子)に囲まれているシーンしか、見たことがないような。単に日本国内の試合しか中継しないからかもしれないけれども、実はホームでやっている機会が多いのではというふうにも思えてしまう。そういう中で最強(らしい)ブラジルと惜しい試合をしてもねえ…と、サッカーファンはうがった見方をしてしまうわけである。
 サッカーが日本にも根付いてから、「ホーム&アウエイ」という概念が広まったけれども、我々日本人(と一般化してしまいますが)にはアウエイという感覚がまだまだ身に付いていない気もする。なかなか外に出て行って戦うという場面がないからだろう。自分の場合を考えても、普段所属している機関はホームだし、学会なども同じ関心を持つ人々の集まりという点からすればやはりホーム、全然違う分野の人とやりあう機会はほとんどないからアウエイを感じることはほとんどない。
 アウエイで勝ってこそ力は本物、という部分がサッカーにはあるけれども、一個人の場合にもそういう部分があるのかもしれない。個人がアウエイを感じる場面としては、海外に一人で旅行した時くらいだろうか。最近の海外旅行(というより出張が多いのだが)は知人と共の場合が多いし、それ以前に旅行者ということで暖かく迎えられる部分も多いから、やっぱり本当の意味でのアウエイではないのかもしれないけれども、それでも出て行かないよりは出て行った方がよいはずだ。若い頃に海外旅行にあまり行かなかったのが、今思うと残念でならないのだが、今からでもまあ遅すぎはしないだろう。今年は何回海外に行けるか分からないけれども(これまでに1回、この後2回は予定あり)、仕事でもプライベートでも、出来るだけ機会がもてるとよいなと思う。

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2005年1月23日 (日)

イッセー尾形つくば公演

 毎年恒例の「イッセー尾形のとまらない生活2005inつくば」@カピオホール。東京とかではなかなかチケットが取れないのだが、つくばだと楽に取れるのがありがたい。家から自転車10分で行けるというのもよい(わざわざ都内まで2時間かけて行き、また2時間かけて帰るのは本当にしんどいのである)。本当はこういう形で、生活圏内で音楽や演劇やらを楽しめるのが、豊かな生活なのだろう。そんな恵まれた地域はそうないけれども。
 前半は比較的馴染みというか、これまでに見たものの延長上にあるような感じ。安心して観られて楽しめる反面、新鮮な驚きには欠けるのだけれども…と思っていたのだが、後半のチェロを使ったネタは新趣向(?)でとても楽しめた。ギターだけではなくチェロも弾き、しかも音を使ってきちんと笑えるネタにするとは、恐るべしである。
 毎回みるたびに思うことだが、この人の観察力と表現力には感心してしまう。人というものをきちんと深く観察しないとああいうネタはつくれないだろうし、観察したものをより豊かに広げて表現する技もすごい。その技も一つではなく、ネタに合わせて多種多様なのだ。
 次のネタの登場人物に合わせて服を着替えメイクを直した後、ステージの真ん中に立って照明がついた瞬間、表情・立ち方などの技・表現力によって、先のネタとはまた違った場面・人物が何もない空間に立ち上がっているというのには、何度見ても驚かされる。もちろんネタ自体も面白いのだが、この役者・舞台が転換する瞬間が実に魅力的なのである。

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2005年1月 8日 (土)

weblogスタート

 ホームページ再開(予定)に合わせて、weblogをはじめてみました。ネット旧世代の人間としては、しくみや使い方が今ひとつ分からないのですが、とりあえず使ってみることとします。
 今のところ研究関係と趣味関係とをまとめてこのlogに書いていくつもりなので、若干雑多な構成となり、研究・趣味いずれかにしか関心がない方には読みにくいかもしれませんが、ご了承下さい。「カテゴリー」欄で一応分類はしていますので、ご興味のあるところを選んでいただければと思います。
 出来るだけ頻繁に長く書き続けたいと思いますが、どうなることやら。

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